fillmore JAPAN目次

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国内盤は種類豊富です

1971〜 1986


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 最初はクラプトンだったのです。当時のクラプトンはジャンキーで、すでに第一線から退いていました。ですからレコード店ではクラプトンのコーナーには当たり前のように古いクリームのアルバムとスーツを着た写真のソロ・アルバム、そして強烈なインパクトをジャケットから放っていたレイラしか並んでいませんでした。

 レイラがデュアンの存在を教えてくれました。その時にはもう既にデュアンはこの世に存在しませんでした。その訃報はミュージックライフ誌の1972年1月号で詳しく紹介されました(簡単なものはそれ以前に小さな囲み記事で出ていた記憶があります)。そんなこともあり、クラプトン以外の何かを求めてフィルモアに手が伸びたのも必然であったでしょう。

 LP(しかも2枚組)は当時の中高生には高額でした。何かを我慢して手に入れる種類のものでした。ですから、一度手に入れたら最後、毎日明けても暮れても飽きもせず聴き続けたものです。LP一面を通して演奏される長尺の曲は、今聴いてもロックというジャンルを軽々と超えています。

 さて、時は流れそれから30年を軽く超えた頃、再び体の細胞の中の何かがフィルモアを呼び起こしました。改めて聴くフィルモアの輝きは何一つ失われていませんでした。再び心の中にともった火はなかなかにしぶとく、国内盤もあれこれと集まりました。そして気づいたことは、一番最後までアナログでFillmoreを出し続けていたのは日本だったということです(今はアメリカで出ていますが)。しかも終止あまり良くない音質で…。

IMG_2194.JPG とにかくこの一枚がスタートでした。もちろん他に選択肢などありませんでした。1971年当時、日本のどれだけの人がピンク盤を手に入れることができたのでしょう? まずほとんどの音楽ファンは疑いも無くこの一枚を手に取ったに違いありません。定価3000円。

1st・P-5016/17ALinkIcon

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ピンク盤を集めるのと国内盤を集めるのとでは、目的が全然違いました。国内盤に求めるものはライナーノートとか、「ポスター付き」というようなおまけ目当てでした。この一枚はまさにそういうレコードでした。定価3600円。

2nd・SJET 9596〜7LinkIcon

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着々と価格は上がり続け、この盤ではついに4000円となりました。当時としても結構高価な一枚(2枚組)ですが、カタログNo.と値段が変わった以外には、帯が新調されたぐらいしか変化を見つけられません。

3rd・VIP-9507〜8

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定価が1000円も一気に下がって3000円に戻りました。1979年ですから、私が大学2年生(たぶん?)の頃の発売です。ビクター 名義の4年間という短期間に随分と価格は動きました。

4th・VIP-5079〜80LinkIcon

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ようやく帯が手に入りました(06/13/08)。しかしこのカタログNo.の一枚はなかなか見つかりませんでした。プレス枚数が少なかったのかなあ。この盤がでた後ぐらいから世の中はCDへと移行して行く時代です。定価は3500円。

5th・35MM0099/0100LinkIcon

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これが国内盤最後のフィルモアです。時代はもうCDになっていますから、このLPもデジタル・リマスターと銘打って高音質を強調していますが、得てしてそう言うのに限って…。定価は国内盤最安値の2800円です。

6th・28MM0535/6LinkIcon