国内盤は種類豊富です
1971〜 1986
最初はクラプトンだったのです。当時のクラプトンはジャンキーで、すでに第一線から退いていました。ですからレコード店ではクラプトンのコーナーには当たり前のように古いクリームのアルバムとスーツを着た写真のソロ・アルバム、そして強烈なインパクトをジャケットから放っていたレイラしか並んでいませんでした。
レイラがデュアンの存在を教えてくれました。その時にはもう既にデュアンはこの世に存在しませんでした。その訃報はミュージックライフ誌の1972年1月号で詳しく紹介されました(簡単なものはそれ以前に小さな囲み記事で出ていた記憶があります)。そんなこともあり、クラプトン以外の何かを求めてフィルモアに手が伸びたのも必然であったでしょう。
LP(しかも2枚組)は当時の中高生には高額でした。何かを我慢して手に入れる種類のものでした。ですから、一度手に入れたら最後、毎日明けても暮れても飽きもせず聴き続けたものです。LP一面を通して演奏される長尺の曲は、今聴いてもロックというジャンルを軽々と超えています。
さて、時は流れそれから30年を軽く超えた頃、再び体の細胞の中の何かがフィルモアを呼び起こしました。改めて聴くフィルモアの輝きは何一つ失われていませんでした。再び心の中にともった火はなかなかにしぶとく、国内盤もあれこれと集まりました。そして気づいたことは、一番最後までアナログでFillmoreを出し続けていたのは日本だったということです(今はアメリカで出ていますが)。しかも終止あまり良くない音質で…。
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