Fillmore資料室

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Fillmore資料室

Allmanのこと、Duaneのこと、Fillmore Eastのこと、Capricornのこと、色々なことを教えてくれた資料の数々です。感謝、感謝です。

▼Fillmoreを取り巻く周辺に関わる資料をコツコツと集めています。

 
 当時は当り前だったことが、40年近くも経つと記憶が遠ざかってしまい、曖昧になってしまったことが多いです。こんな時に役立つのが意外と広告とか切り抜きとかそういった印刷物です。そんなわけで未だ捨てられず山のようになっている古い雑誌や資料から、これはと思うものを取り上げて行きます。まあ、普通の人には無駄な情報かもしれませんが(笑)。

音楽専科'73年9月号 オートチェンジャーの広告

音楽専科73年9月.jpg  Fillmoreの2枚の盤面が1/4、2/3という組み合わせになっていることは、このHPでさんざん述べているところですが、その理由はこういうターンテーブルが有ったからに他なりません。たまたま手許に有った古い「音楽専科」という音楽雑誌で見つけた広告です。社名がビー・エス・アール・ジャパンと読めます。ちょっと調べたところ、株式会社BSRジャパンは英国BSR(ブリティッシュ・サウンド・リプロダクションズ)社の出資(国内初の外資100%)によるオーディオメーカーで高級レコードプレーヤーを中心に生産販売を行っていた、とありました。機種名の下に「LOVE  MACHINE」とありますが、いやはやなんともあけすけな感じがするのは、外資ゆえとは勘ぐり過ぎでしょうか(笑)。

音楽専科'75年6月号 キャプリコーン・レコードの広告

音楽専科75年6月.jpg  国内盤のFillmoreは1971年9月にワーナープラザーズ・パイオニア(株)から出たのが最初でした(P-5016〜17A)。自分はレーベルの権利関係とか契約とかに詳しくないので良くわからないのですが、アメリカ本国では1972年以降なのに(トレードマークも山羊になる)、1971年当時の日本ではATLANTICはワーナーから出ていたんですね。ジャケットの何処にもキャプリコーンの文字が見当たりません。
 で、いつから国内では山羊マークになったかというと、この広告に有る通り1975年7月以降(ビクター音産)ということが分かりました。まだこの時点ではFillmoreは発売されていませんが、このレーベルに対する大きな期待が読み取れる広告です。そしてここから怒濤のサザンロックブームが始まったのでした。

音楽専科'73年11月 ビクターCD-4(4ch)の広告

音楽専科73年11月.jpg  テレビでもさんざんCMを流していた記憶が有ります。今時のAV機器のサラウンドシステムのPRなんて、本当にかすんでしまうぐらいの勢いで雑誌にも広告が出ていました。今にも2chステレオは過去のものとなり、4chの時代が来るのかと思っていましたが、来ませんでした(笑)。
 これまた古い「音楽専科」のバックナンバーをパラパラやっていたら、こんなのが目につきました。そうでしたそうでした。当時のステレオ(オーディオとは言わなかった)は、こんな重厚な家具調コンソールでしたね。応接間にデンと飾られていました。テレビもまだ回転式のチャンネルの時代です。しかし当時のビクターのCD-4に対する力の入れ具合が分かる広告です。

ミュージック・ライフ'72年1月号 デュアンの写真

LMデュアン.jpg  我々の世代にとっては、海外ミュージシャンの姿が拝めるのは「ミュージックライフ」が一番でした。今見れば粗い画質で、コピーを重ねたものだとすぐ分かるのですが、当時はそんなことはおかまいなし、ひたすら想像力を発揮して、あーじゃないか、こーじゃないかとお気に入りのミュージシャンの写真を眺めたものです。
 この写真は今となってはおなじみのシャツ姿からFillmoreでのものと分かるのですが、カラーの1ページ扱いの写真としては、悲しいことにこれが「ミュージックライフ」に掲載された最後のデュアンの勇姿となりました。ちなみにこの号では見開きで追悼記事も載ってました。