昔レコード屋さんでドーナツ盤を繰ったように、お気に入りを探しましょう!
手元にいつのまにかたくさんシングル盤が集まってしまった女性歌手を紹介します。
そうそう、これ聴いたことあるよね、とか、あの唄のレコード盤のジャケットってこんなんだったんだ、とかいろいろと思い出すのがシングル盤のジャケットの楽しいとこです。LPではこうは行きません。やっぱりこの一曲に掛けるのが歌謡曲の神髄です。コンセプト・アルバムなんて歌謡曲には縁のない世界です。愛と涙と男と女、北の酒場で熱燗飲んで、別れた人に会ったとて、所詮私は日陰の女、ああ、後は野となれ山となれ…。
もちろん唄が主役ということは良くわかります。あるいは良く見聞きしたヒット曲を買い求めるなら、別段ジャケット写真にこだわることは無いでしょう。でも、今ほど情報が無かった昭和40年代〜50年代、レコード屋さん(懐かしい響き!)の歌謡曲のレコード棚には、めくるめくような意匠の凝らされたジャケットが「買って! 買って!」と手招きしており、眺めて飽きず時間を過ごしたものでした。さあ、そんな気分になってページをめくりましょう。
♥梓みちよ
20歳やそこらで突然降って湧いた国民的ヒット曲「こんにちは赤ちゃん」は重かったでしょうね。何をやってもつきまとうのは当然でしたでしょうから。元祖八重歯歌手でしたが、他の八重歯歌手同様に抜いた後のほうが幸薄い感じがするといっては余計なお世話でしょうか。
清純派からスタートして成功を収めた女性歌手というのは、その後の展開に苦労がつきもののようですね。人は歳をとり、いつまでも清純派ではいられない(吉永小百合は別としても)のが定めですから、いかに大人の女性として最スタートを切るかというのに興味がわくのは致し方のないことでしょう。そう言う意味では、梓みちよの「二人でお酒を」は大成功だったということでしょう。しかし例えば今「渚のShaLaLa」のジャケットを見たりすれば、すでに'69年の時点で十分に大人の女性としての色香が感じられ、味わい深いのですが。
▼'63.7 「こんにちは赤ちゃん」 ▼'63「きよしこの夜」 ▼'64「素敵な新学期」
▼'64「夢みる想い」 ▼'67 「渚のセニョリーナ」 ▼'68「あなたの時計」 ▼'68「月夜と舟と恋」
▼'69「渚のShaLaLa」 ▼'70 「こんにちは赤ちゃん」(再発)▼'74「二人でお酒を」 ▼'74「淋しがりや」
▼'74「メランコリー」 ▼'75「あかいサルビア」 ▼'77「ノクターン」 ▼'79「よろしかったら」
▼'80 「小心者」 ▼'85「いらっしゃい」 ▼'86「ぬすんでもいいわ」
♥仲宗根美樹
歌謡曲の歌手で、個人的に初めて沖縄出身ということを知ったのは彼女でした。例によって日曜正午の「ロッテ歌のアルバム」の常連でしたっけ。
なんたって「川は流れる」ですよね。100万枚を超えるヒット曲だったのですから。でも、今になって分かったのは、それが当時のシングル盤ではB面であったということ。ま、よくあることではありますが。目鼻立ちがくっきりとしたエキゾチックな顔立ち、ハスキーで力強くも儚げにも変幻自在になる歌唱力は、子供心に強い印象を与えてくれました。もちろん今聴いても心にしみいる感じがします。長い間、芸能の世界をはなれていましたが、つい最近新曲を出すと知り(2009年4月1日発売「純情」)、驚くとともに嬉しい限りです。
▼'61「川は流れる」 ▼'62「ユキコの灯」 ▼'63「永良部百合の花」 ▼'63「永良部百合の花」
▼'64「さよなら十代」 ▼'64「ドリームファイブ」 (▼別カップリング) ▼'66「泣いちゃいけない」
▼'67「恋しくて」 ▼'67「聞かせてほしい」 ▼'68「夜の熱帯魚」
♥じゅん&ネネ
女性二人のデュエットならば、ザ・ピーナッツもこまどり姉妹もいました。でも、このふたりのそこはかとない妖しさに、それまでの女性デュエットには感じないお色気と言うか、なんというかを子供心に感じたものです。挙げ句に名前が「じゅん&ネネ」! 今の歳になれば、まんまじゃないか、とつっ込めるのですが。
ホイホイミュージックスクールの出身、なんて言って分かる人は結構な歳ですよね。日本は高度経済成長まっしぐら、当時の我が出身の愛知県は公害のメッカであり、洗濯物は降り注ぐ煤煙ですすだらけ、咳は止まらず目はいつもトラコーマ、というような劣悪な環境の中であっても、毎日見ているテレビの中では妙に明るい未来が描かれていましたっけ。それでも音楽には世の中の真実を映し出すような作用が有って、どこかで何かが変わりつつ有る空気を伝えてました。そんなものをこの二人に何となく感じ取っていた小学生の僕でした。
▼'68「愛するってこわい」 ▼'69「みずいろの世界」 ▼'69「お気に召すまま」 ▼'69「お熱いほうがステキ!」
▼'69「恋あそび」 ▼'70「生まれかわれるものならば」▼'70「恋の色恋の味」 ▼'70「家なき子」
▼'71「過去」 ▼'71「愛にうたれて」 ▼'71「恋のチャンス」 ▼'72「プリーズプリーズプリーズ」
♥小川知子
夜のヒットスタジオでは、その涙が子供心にも強い印象を残しました。恋人のカーレーサー・福澤幸雄(福澤諭吉の曾孫)が、生放送当日のテスト走行中に事故死して、というような流れだったかと記憶しています。そういえば小川知子だけでなく、いしだあゆみや中村晃子も良く泣いてましたっけ。変なこと覚えています。
何と言っても「初恋の人」でした。もちろんデビュー曲の「ゆうべの秘密」も何とも色っぽく思ったのですが、当時の有名なカーレーサーである福沢幸雄の死と重なりあって、小学生だった自分の記憶に克明に歌詞とメロディは刻まれたのでした。しかしその後の印象って、歌手としてよりも「ゲバゲバ90分」に出ている姿とか、後年になってビデオで見た、エッチな大奥ものの映画、あるいはテレビでの「金曜日の妻たちへ」、はては某宗教団体の広告塔というイメージが強いですね。あと、デュエットの「忘れていいの」で谷村新司におっぱい触られていましたっけ(笑)。
▼'68「ゆうべの秘密」 C/W「あなたに夢中なの」 ▼'68「恋のときめき」 ▼'69「初恋のひと」
▼'69「恋のなごり」 ▼'69「銀色の雨」 ▼'69「あなたと生きる」 C/W「明日になれば」
▼'70「思いがけない別れ」 C/W「幸せなんて」 ▼'73「愛こそいちずに」 ▼'73「恋のぬくもり」
▼'73「ごめんなさい」 ▼'74「別れてよかった」
♥伊東ゆかり
60年代後半のナベプロ三人娘のひとりでした。そう、中尾ミエ・園まりとの三人で結成したスパーク娘です。でもなんたって「小指の想い出」の大ヒットでしょう。エンドレス・テープのように銭湯で延々と歌い続けていたおじさんがいたことを、急に思い出しました。
記憶の最初は「小指の想い出」です。でも個人的には「恋のしずく」です。♪肩をぬらす 恋のしずく 濡れたままでいいの このまま歩きたい 何とシットリトした歌詞でしょう! 当時小学生の自分にも良くわからないながら、♪きっとからだの 中までしみるわ そしてあなたの あなたの言葉を 忘れないように したいの なんていわれると、分けも分からないながら、いい歌だなあ、なんて生意気に思ったものでした。ちなみに作詞は安井かずみと知り、なるほどなあと感心したわけですが。
▼'65「恋する瞳」 ▼'67.2「小指の想い出」 ▼'67.9「あの人の足音」 ▼'68.1「恋のしずく」
▼'68「恋のしずく」(別ジャケ)▼'68.6「星を見ないで」 ▼'68.10「朝のくちづけ」 ▼'68「朝のくちづけ」(別ジャケ)
▼'69.2「知らなかったの」 ▼'69.6「愛して愛して」 ▼'69.10「青空のゆくえ」 ▼'70.1「裸足の恋」
▼'70.5「結婚」 ▼'71.10「誰も知らない」 ▼'72.5「陽はまた昇る」 ▼'73.10「あのひと」
▼'75.8「わたし女ですもの」▼'76.1「わかれ雪」 ▼78.8「あなたの隣に」
♥西田佐知子
独特のノンビブラート唱法で一世を風靡しました。折からのラテンブームに合わせたような「コーヒールンバ」もラジオからいつも掛かっていましたっけ。でも一番の事件は、1970年の関口宏との結婚だったでしょう。どれだけの人ががっかりしたことか…。
ハスキーというのか、物憂げな感じのする歌声は、彼女だけのものでした。それはもっとも活躍した1960年代、安保反対闘争に代表される時代の危うさとシンクロするようでした。ブルースと言うタイトルを冠した曲も多いですが、物憂いという意味でのブルースであって、いかにも彼女らしい感じがします。でも、意外とアップテンポの曲に彼女の唱法、そして鼻に掛かったような声は合っていて、ただのアンニュイというような言葉ではくくれない世界観を我々に示してくれました。個人的には「こんな女将のいる飲み屋なら、毎日でも通いたいと思わせるタイプ選手権」というようなものがあれば、なにはともあれ一票を投じたいと思うその容姿もまた、歌声とともに男性諸氏の心に刻まれていると思うのですが。
▼1960「アカシアの雨がやむとき」 別ジャケット ▼1961「コーヒールンバ」 ▼1962「エリカの花散るとき」
▼1963「故郷のように」 ▼1963「東京ブルース」 ▼1964「博多ブルース」 ▼1964「さいはての慕情」
▼1964(?)「喜びも悲しみも」▼1965(?)「男はいいわ」 ▼1965「女の意地」 ▼1966「ながれの花」
▼1966「さよならは云えない」▼1966「信じていたい」 ▼1967「雲の流れに」 ▼1967「たそがれの恋」
▼1967「別府ブルース」 ▼1967「涙のかわくまで」 ▼1969「くれないホテル」 ▼1969「星のナイトクラブ」
▼1970「神戸で死ねたら」 ▼1971「女の意地」 ▼1975「エリカの花散るとき」▼4曲入りLP・1
▼4曲入りLP・2 ▼4曲入りLP・3 ▼4曲入りLP・4
♥奥村チヨ
元祖小悪魔・コケティッシュ路線からスタートし、一人GSサウンドぽかったり、きわどい歌詞を歌ったり、けっこう今から思うと色々な顔を見せてくれました。
黛ジュン・小川知子とともに東芝3人娘で、常にテレビの歌番組に出演していましたが、他の二人と比較して、同一人物かと思うほど変わり身が早かった気がしますね。それも無理無く変わって行った感じ。本人がどう思っていたかまでは分かりませんが。リアルタイムではあまり関心が無かったのですよ、本当のことを言うと。でも記憶にはしっかり残っていて、こういう歳になってみて、なんかいいなあ、と。ターニング・ポイントになる曲を常に持っていて、記憶に残っている「ごめんネ…ジロー」「北国の青い空」「恋の奴隷」「終着駅」でスタイルを確実に変えてきました。でも僕が一番好きなのは「中途半端はやめて」。なんか叱られているみたいで(笑)。
▼65.03「あなたがいなくても」▼65.06「ああ結婚」 ▼65.07「セプテンバー・ムーン」▼65.10「ごめんネ…ジロー」
▼65.10「ごめんネ…ジロー」 ▼66.01「想い出のタンゴ」 ▼66.03「一人ぼっちで」 ▼66.05「云えなかったの」
▼66.06「私の胸をノックして」 ▼66.11「いつかの約束」 ▼67.08「北国の青い空」 ▼68.02「涙いろの恋」
▼68.06「青い月夜」 C/W「愛の花咲く頃」 ▼68.11「花になりたい」C/W「もう一度ふりむいて」
▼69.03「夜よそのままで」 C/W「雨の大阪」 ▼69.01「恋の奴隷」 C/W 「眠くなるまで」
▼69.10「恋泥棒」 C/W「北国の春はみじかい」 ▼70.02「恋狂い」 C/W「何かいいことありそうな」
▼70.04「くやしいけれど幸せよ」C/W「きめちゃったから」 ▼70.09「嘘でもいいから」 C/W「心は他人にならないで」
▼70.12「中途半端はやめて」 C/W「恋人形」 ▼71.04「甘い生活」 C/W「可愛い女」
▼71.08「川の流れのように」▼71.12「終着駅」 ▼72.12「女の恋唄」 ▼73.04「ひき潮」
▼73.09「風の慕情」 ▼73.12「泣いて京都へ」 ▼74.06「何かありそな西銀座」▼77.10「走馬灯」
♥こまどり姉妹
洋のピーナッツに和のこまどり姉妹。同時期に双子の歌手が人気者となりました。でもこまどり姉妹には「苦労」と言う文字が常にいつも語られていましたっけ。青森出身ということも、集団就職や地方出身者と結びいて郷愁を誘ったのでしょう。
日野てる子とともに「ロッテ歌のアルバム」の常連だったこまどり姉妹の歌声は、日曜のお昼には欠かせないものだったという記憶が有ります。双子の姉妹が三味線を抱えて、日本情緒とか民謡を交えた曲を歌っているという姿は、同じ双子の歌手であるピーナッツがシャボン玉ホリデーのエンディングで「スターダスト」を歌っている姿とは正反対でしたが、どちらもがその当時の日本には欠かせないものだったのでしょう。
ともかく和楽器を多用した当時のレコードの音の良さは格別で、今は過去のものとなった「間」を聴かせてくれます。そして、そして、今改めてソノシートの写真を見直すと、まあ可愛いこと可愛いこと! ということで色々と買い集めたシングル盤たちです。
▼1959「三味線姉妹」 ▼1961「浜町三味線」 ▼1961「祇園姉妹」 ▼1961「ソーラン渡り鳥」
▼1961「湯の町エレジー」 ▼1962「おけさ渡り鳥」 ▼1962「お名残り峠」 ▼1963「帯広の町よさようなら」
▼1963「よさこい三味線」 ▼1963「浮き草三味線」 ▼1964「女の恋」 ▼1964「祇園エレジー」
▼1965「アリューシャン小唄」 ▼1977「南国情話(再)」 ▼コロシート
♥日野てる子
常にハイビスカスの髪飾り。ハワイアン特有の衣装を身にはまとっていましたが、歌声はハワイアンの世界を大きく超える魅力を持っていました。そしてそして、それはそれは愛らしい笑顔でした。
その笑顔から発せられる歌声は、以外にも大人の女性の声でした。浮ついたところの無い低くハスキーでさえ有る歌声は、大抵の場合に玉置宏が司会をしていた「ロッテ歌のアルバム」から聴こえていたような記憶が有ります。おもえば昭和40年前後の日本の夏には、ハワイアンが欠かせませんでした。まだまだ「戦後」という言葉が身近だった時代の話です。夏の商店街で、市場のアーケードの下で、パチンコ屋で、公営プールでかかっていたのは決まってハワイアンでした。だから日野てる子のイメージもまた夏なのですが、時に冬の歌、北国の歌も歌っていたということに気づいたのは、随分とあとのことでした。もう、こんな大人の女性の声を聴くことは無いでしょう。
▼196?「カイマナヒラ」 ▼1964「泣きぬれる夕陽に」 ▼1965「夏の日の想い出」 (別ジャケット)
▼196?「小さな竹の橋」 ▼196?「若い朝」 ▼1966「さいはての太陽」 ▼1966「道」
▼1967「島の別れ唄」 ▼1967「浜辺は夜だった」 ▼1967「南十字の星に泣く」 ▼1968「誰かしら」
♥黛・ジュン(黛ジュン)
人気有りましたねー。1年に3枚も4枚もヒットを飛ばしました。そういえば森田健作(!)が相手役で銀幕デビューしましたね。
時はGS真っ盛りの60年代終盤、はじけるような歌声とコスチューム、とりわけミニスカートで一世を風靡しました。もちろんそのサウンドはもろGSでした。しかし昭和歌謡・シングル盤愛好家の目はそこにとどまりません。買い集めれば分かるのですが、ピンナップ・ジャケットの多いこと! そしてその写真の突っ込みどころ満載なところ! これはもう見ていただくしか有りません。写真をクリックして下さい。下半身ジャケのコーナーのみにするか、歌手別コーナーにも掲載するかで悩みましたが、とりあえず両方で紹介します。
ところで彼女の名前なのですが、「霧のかなたに」から「太陽の誘惑」まで 黛・ジュン ですが、「夕月」から 黛ジュン 名義になっています。姓名判断で見てもらったのかなあ?
▼1967「恋のハレルヤ」 ▼1967「霧のかなたに」 ▼1968「乙女の祈り」 ▼1968「太陽の誘惑」
▼1968「夕月」 ▼1969「不思議な太陽」 ▼1969「雲に乗りたい」 ▼1969「涙で良いの」
▼1969「土曜の夜何かが起きる」▼1970「自由の女神」 ▼1970「時は流れる」 ▼1971「憂愁」
▼1971「とても不幸な朝が来た」 ▼1971「雪が降るのに」 ▼1972「裸足の妖精」 ▼1972「途はひとつ」
▼1972「バスを降りたら」 ▼1974「冬化粧」 ▼1980「風の大地の子守唄」 ▼1980「男はみんな華になれ」
♥園 まり
子供心に、大人の女性を感じました。元祖フェロモン系の名を欲しいままにした園まりです。
伊東ゆかり、中尾ミエとで渡辺プロのスパーク三人娘でしたが、一人だけ違いました。明らかに違いました。テレビに映った彼女の周りには濃密な空気が漂っていた、といっては言い過ぎかもしれませんが、その濃密さというのは決して淀んでいるのではなく、むしろ清楚な印象さえ感じるお色気もでした(なんちゅう子供や!)。それから時間はどれだけ経ったことでしょう、その吐息まじりのような甘い声は、今も耳に離れません。月に一度は聴きたくなるのが「何も云わないで」と「帰りたくないの」です。ついでに聴きたくなるのが日野てる子の「夏の日の想い出」ですが、これは別建てで紹介しましょう。
▼1963「燃える太陽」 ▼1963「女王蜂」 ▼1964「何も云わないで」 ▼1965「あなたとなら」
▼1965「この喜びの日に」 ▼1965「あれがお父さまよ」 ▼1965「逢いたくて逢いたくて」▼1966「ふるさとの唄」
▼1966「やさしい雨」 ▼1966「夢は夜ひらく」 ▼1967「帰りたくないの」 ▼1967「つれてって」
▼1967「愛は惜しみなく」 ▼1968「好きなの好きなの」 ▼1968「あなたのとりこ」 ▼1968「泣きぬれて」
c/w 「ひとりにしないで」 ▼1969「おもいきり泣かせて」 ▼1969「気にかかる」 ▼1970「未練」
♥中村晃子
猫というより気の強そうな牝豹の目、厚い唇、そしてボブ。おー、ストレート・ど真ん中・直球です。
一人GSサウンドといえば中村晃子です。さらに独特の節回し、投げやりにも聴こえる発声、これこそ個性というような歌声でした。決してうまいわけじゃない、だけど耳に残って離れない歌の数々…。思えばこの頃の歌手にはみんな個性がありました。
さて後年にはたくさんのドラマで女優として活躍したり、果ては洋便器の便座にヌードで座った表紙の写真集なんぞを出しましたが、やっぱりここで見られるような若さ溢れる、歌手時代の彼女の姿が僕は一番好きです(個人的趣味を語ってどうする?!・笑)。それにしてもこんなにボブが似合う女性もいません。
▼1967「虹色の湖」 ▼1968「砂の十字架」 ▼1968「嘆きの真珠」
▼1969「涙の森の物語」 ▼1969「ローマの灯」 ▼1969「風とバラの荒野」 ▼1970「いつか愛して」
▼1970「愛の肖像」 ▼1970「湖は天使の涙」 ▼1971「裸足のブルース」 ▼1971「情熱の海」
▼1971「哀愁の旅」 ▼1972「ガラスの城」 ▼1972「倉敷涙も匂う町」 ▼1973「あまい囁き」
▼1974「薔薇の囁き」 ▼1975「恋しぐれ」 ▼1975「旅路」 ▼1976「傷ついた小鳥」
▼1980「じゃじゃ馬ならし」 ▼1980「恋の綱わたり」 ▼1981「ささやきの首飾り」 ▼'68コンパクト盤「虹色の湖」
▼'69DX仕様「虹色の湖」 ▼'69DX仕様「風とバラの荒野」
♥いしだあゆみ
森繁久彌がおじいちゃんで、いしだあゆみが孫、そう「七人の孫」です。
最初のテレビでの出会いはショートヘアの良く似合う女優としてでした。でもデビューは歌手としてでしたよね。GS全盛の1960年代も終盤、はじけるようなリズム感と、独特な雰囲気であっという間にスターの仲間入り。もちろん代表曲があるから今でも知らない人はいないでしょう。個人的にはGSガールズの匂いがプンプンする「太陽は泣いている」が一押しです。
彼女のシングル盤の特徴としては、1971年はじめまでほとんどが二つ折りのジャケットで、カップリングのB面曲に関しても、手を抜くところ無くちゃんとした写真が使われている点です。手に取れば分かりますが、本当に得した気になりますよ。ただ、ピンナップ式全身ジャケットが一枚も無いのが悔やまれます。
▼64.06「サチオ君」 ▼64.11「ブーベの恋人」 ▼65.02「みどりの乙女」
▼68.06「太陽は泣いている」B面の写真のほうがいい♥ ▼68.12「ブルーライトヨコハマ」で大ブレイク
▼69.04「涙の中を歩いてる」鉢植えに注目! ▼69.08「今日からあなたと」B面、女っぽいぞ!
▼69.11「喧嘩のあとでくちづけを」 ▼70.03「あなたならどうする」B面もすごいタイトル!
▼70.07「昨日のおんな」 ▼70.10「何があなたをそうさせた」
▼71.02「止めないで 」 ▼71.08「おもいでの長崎」
▼71.05「砂漠のような東京で」 ▼72.01「さすらいの天使」 ▼72.02「まるで飛べない小鳥のように」
▼72.11「生まれ変われるものならば」 ▼73.02「愛愁」 ▼73.06「渚にて」 ▼73.09「愛の氷河」
▼74.01「幸せだったわありがとう」 ▼74.04「恋は初恋」 ▼74.08「美しい別れ」 ▼74.12 「家路」
▼75.04「待ちわびても」 ▼75.11「時には一人で」 ▼76再「ブルーライトヨコハマ」 ▼76.05「とまどい」
▼77.11「ちょっと淋しい春ですね」▼77.11「港・坂道・異人館」▼78.7「今夜は星空」 ▼78.10「大阪の女
▼79.6「マイルド・ナイト」 ▼85.9「羽衣天女」 ▼86.11「わかれ道」